本日2005年3月8日の58才記念にパラゴンにまつわる話を記載。同月18日完。


「パラゴンを語る」paragon導入9年前までの初心者時代

昔の話をするのは老いた証拠だろうから、自分に対して「お前もそこまで老いたか」という慨嘆部分もあるのだが、
なにせ、オーディオのウェブサイトというのは有る程度まで関連記事を揃えると、もはや先が無くなるというところがある。
もうひとつの「女性歌手応援サイト」は、今月21日で一周年を迎えるが、毎日のように更新をしていても、追いつかないほどだ。
やっぱり、オーディオというのは、目的を遂げるための手段でしかないハードウェアだから、ソフトウェアほどは面白くない。
さて、序文はこのくらいにして、少々の古ぼけた写真を載せながら、話を進めていこうと思う。

写真左は1967年6月号「ステレオの総合技術」という雑誌の広告で、ティアック社製のA−6010テープデッキのカタログです。
これこそが、当時20才の私とオーディオと繋ぐリングの一つでした。
これに先立つもう一つのリングは、青森県八戸市にあった、今は名前も思い出せず写真もないオーディオ店での出来事。
当時の私の境遇も語らなければ、オーディオの話も繋がらないから、簡単に説明しておくが、海上自衛隊八戸航空基地所属。
暮らしは隊内に限られ、私物の所有も肩幅より狭いロッカーに収まるもの以外は持てない規則。ステレオなぞ持てる筈もない。
それでも上陸は許されたから(陸地でも艦船に応じた呼称を使う)八戸市内の映画館でマカロニ・ウェスタンなどを楽しんでいた。
上陸時は暇はあっても金は無い。当時の隊員の給与は安くて、恋人の居る隊員など、彼女の半分だとこぼしていたくらいであった。
そこで、金無しポパイのやることといえば、オードリーのティファニーで朝食風に、ウィンドウショッピングとなる。

八戸市内では一番大きな電気店に入ると、やけに張りのある音が聞こえてきたのだ。スピーカーが一個しか入っていないのにだ。
光るアルミ製のセンターキャップが打ち震えて鳴っているスピーカーこそ、ジムランのLE8Tであった。製品名は後で知った。
当時の日本製スピーカーは30センチウーファ付きの3ウェイで、カッコだけは良いが、LE8Tのような隔絶した音は出せなかった。
私は目前50センチほどの距離でLE8Tと対峙したまま、暫く身動きできなかった。それほど衝撃的な初体験&初見参であった。
後から思い起こせばこの時の私は、JBL社のあるカリフォルニアの青い空と、そこに吹き渡る風を感じていたのだった。
さらに言えば、今まで日本女性しか見たことがない私が、青い眼をしたブロンド美人と初めて出会ったのだと言った方が正確だ。
八戸市は青森県では大きな町だが、当時の日本は情報が少なくて、頼る物といえば電気店のカタログと関連雑誌しかなかった。

そして書店で見つけたのが1967年6月号「ステレオの総合技術」の中のテープデッキカタログであったのだ。
破格の高額製品で、写真カタログを見てのとおり159000円。当時から銘器といわれたマランツ7Tが16万で、ほぼ同価格でした。
この時代の私の給与は、一ヶ月13000円ほどであったと思う。
後に、海上自衛隊3年間で蓄えた預金と退職金の全財産でA-6010を買った。私が最初に購入した本格的なオーディオ製品です。
それまでの私は音楽を聞く機械として、ポータブル製のステレオ・テープデッキとFMステレオ受信可能なラジオで楽しんでいた。
隊舎のロッカーのサイズを物差しで測り、蓋の部分がSPで折り畳み式になっているテープデッキを買い。エアチェックをしていた。
しかしながら、市内の電気店でのジムランLE8Tとは、あまりに音が違いすぎて、なんとかならぬものかと考えたが、妙案は無い。
カリフォルニアの青い空は遠くて、ブロンド美人との遭遇を夢見たところで、あらゆるものが不足し過ぎていた。
先立つものは金だと気付いてはいたが、如何にせん、一般社会に遠く及ばない兵隊の供与では、オハナシにもなりはしない。
3年間の全財産をはたいてテープデッキ一台では前途真っ暗だ。退職して一般社会に出なくてはオーディオは始められなかった。

下の1969年頃の写真を見ると、全財産と引き替えたA-6010も早々に手放し、ティアック製10号リールデッキに買い換え、
スイス製ルボックスも導入している。オーディオ命がけ時代の幕開け。これを支えたのは一般人の3倍の給与を支払う製鉄所勤務。
独身寮は6畳に四人暮らしだが、食事付きで勤務中は弁当だから、給与収入の全てをつぎ込めた。大概の製品は手に入れられた。
私の買う機器は高額製品に限られており、オーディオ仲間の全セット価格が、私の機器の一台分にもならないという具合だった。
僅か一年ほどで、アンプ系はソニー製セパレートアンプTA2000FとTA3120F、FMチューナーもソニー製が揃っている。
寮なので自由に音が出せないから、当初はスピーカーは無く、スタックスの静電型ヘッドフォンで間に合わせていた。
この頃の製鉄所は、工員は皆殺しと言われた時代で、死人怪我人が後を断たず、私も死にかけた事も有るほど命がけだった。
↓下の右写真は製鉄所勤務時代の1969年の22才頃。スピーカーはJBLランサー101を使用していた。


話を八戸の兵隊時代に戻すが、
お金が無くては話にならないことと同時に、情報が必要なことにも気付かされた。インターネットなんて無いから生情報が頼りだ。
私の考えた方法は信長の桶狭間合戦のようなもので、夜行列車で八戸と秋葉原を往復するという、当時の人は誰も考えもしない方法。
夜行列車で次の日の朝に秋葉原に到着して、日中に電気街を歩き回り、その日の夜に上野駅に戻り、青森行きの夜行列車に乗るのだ。
勿論、寝台列車なんて贅沢は出来ないし、急行列車も使えない身分だから、普通の鈍行列車で片道12時間くらいかけて、東京まで通う。
当時、夜行の鈍行列車に乗る人は少なかったが、堅い木製4人座席に座って一夜を耐える。寝不足に弱い私には苦行であった。
38年前だから東北自動車道も無いし、自家用車の所有率も低い時代。想像も付かない行動に出なければ、状況を打開できなかった。

当時から秋葉原は日本の電気製品のメッカであり、そこに出かけて生情報を得るのが、最新情報でもあり最高品質情報でもあった。
秋葉原通いでLE8Tなどは小物だと知る。青森から出てきたオーディオ初心者にとって、きらびやかな外国製品は眩しかった。
そして、高額な海外製品を買えずに批判だけをする人も居たが、日本製品から出てくる音は、比較にならぬほど貧しかった。
外国かぶれといわれようが雑誌の批評がどうあろうが、私は海外製品に魅せられた。ブロンド美人に憧れる気持と同じである。
なにはともあれ、不本意ながら、憧れを手にするにはお金を稼がなくてはならなかった。オーディオを極める必須条件であった。
そしてあまりの安月給の兵隊を辞めて、当時のブルーカラー職業として最も高額な給与が約束された製鉄所勤務を選択した。
千葉市内に近代一貫製鉄所が有って、千葉から秋葉原までは一時間で行くことが出来たのが、その選択理由でもあった。

ここで価格の事を持ち出さねば、憧れの対象としての、価値判断も出来ないので、1970年のカタログ価格を掲載する。
○アルティックA7-8=603200円○タンノイ・オートグラフ=884000円○JBLパラゴン=1736000円
当時の人々の月給は3万円ほどか?。兵隊の私の給与など月12600円。人々の暮らしとパラゴンの価格は大きくかけ離れていた。
アルティックA7の60万や、オートグラフの88万も充分にかけ離れた桁違い価格だが、パラゴンの173万はケタケタ違いであった。
この当時、JBLパラゴンを買うなんてことは、私も同様だが、一般のオーディオマニアにも手の届かない夢物語であった。
給与の半分を預金して、残りで暮らせば、赤貧洗うがごとき状況になるが、そんな暮らしをしても十年以上かかる。
組み合わせ機器を考慮すると一生涯かかってもJBLパラゴンを所有するなど、不可能なことだから、考えるだけ無駄だった。
毎月一度の青森東京間の夜行列車費用が手痛い出費の者には、JBLパラゴンは雲の上の存在で、秋葉原でも実物は見られなかった。
1970年頃は、まだ日本は貧しくて、高度成長の恩恵がオーディオ界にまで浸透していなかったのだ。

秋葉原で比較的容易に見られ、聞くことが出来るのはタンノイの国産箱入りが多く、ボヤけた古くさい音は私の興味対象外であった。
それに比べてJBLのスピーカーは最新近代兵器の趣があった。私は飛行機整備をしていたのだが、タンノイが地上で腐食する車なら、
JBLはジュラルミン製のジェット戦闘機であった。出てくる音もそうだったし、デザインも垢抜けており、類希な美女に見えた。
しかし、当時の秋葉原にもパラゴンの実物は無く、店内に置いたJBL製品というと、ランサー77程度がランクの上限であった。
秋葉原の店といえど、容易に高額な海外製品を陳列しておらず、カタログでしか見たことのない高額製品を買わざるを得ない。

製鉄会社に勤めて最初に買ったJBL製スピーカーはランサー101で、当時は店にも無く、代金前払いの後で三ヶ月待たされた。
当時は船便でアメリカから取り寄せたのだ。写真のスイス製ルボックステープデッキは小型で軽いから航空便取り寄せとなった。
L101の販売価格は449600円で、電気店で音を聞いて確かめる事は不可能でした。高額製品はガラスケースの中という時代だ。
手に入れた最初のJBLスピーカーシステムのランサー101の音にはブッ飛んだ!八戸で初見参したLE8Tの比ではなかった。
初めてジェット戦闘機に乗ったら、同様のカルチャー・ショックを受けたであろう。それくらいL-101の175DLHは凄かった。
それは、とりもなおさず、当時のオーディオ好きの若者達が出していた音と、私の音とは隔絶していたということだった。

オーディオの悲しい現実として、使いこなし以前の問題として、高額な製品には敵わないという事を思い知らされたのだった。
2005年の現代では何百万円もする高額製品であっても、出てくる音が比例して良くならないが、30年以上前は価格に比例していた。
下の写真は独身寮を去る前で、アルティックのサンタナという38センチウーファ入りと、JBL-L101との4発で鳴らしていた。
現在のJBLパラゴンを使った6.1チャンネル・サラウンド再生の原型が、この当時のハの字型スピーカー配置に、既に有る。
狭い独身寮住まいは、1人一部屋になっても、オーディオの趣味には不適当な環境で、一年も経たずに借家を借りて引っ越した。

↓1971年24才頃の独身寮。入社当初は6畳に4人暮らしのタコ部屋状態。徐々に同室者が減り、最後には私1人となった。

借家に引っ越し後、大型のスピーカーが置けるようになり、当時のコンシュマーJBL製品で最大のスタジオマスターL200型を導入した。
1972年の発売前に注文しておいて買った。まだL300型が発売されておらず、有名な4343モニターが出るのは4年後の1976年のこと。
43シリーズは5年後に爆発的人気を得るが、優秀な変換器ではあっても、愛する対象にはなれない姿と音で、モニター系は、今も大嫌いだ。
私にとって、43シリーズのモニター系スピーカーでは、カリフォルニアの青空の下に立つ、ブロンド美人を連想できなかったのだ。

あらためて、この写真を検分?してみる。この部屋は六畳四畳半に台所付きの借家です。
この頃は機器の入れ替えが激しくて、写真として残っていない機器もあります。
ラック下部には、大理石製のLPプレーヤーにSME3009搭載。写真に写っていない機器もあるが、大方、こんな装置だったと思う。
マッキンアンプの右側黒いLPプレーヤーはテクニクス製で、ダブルアーム仕様とし、ダイナベクター製アームも載っていた。
この写真に見るように、ハの字型スピーカー配置は、32年前から一貫して変わらない、私の独自配置方式です。

当時の記録によれば、1973年11月21日にマッキントッシュのセパレートアンプが届いたとある。
マッキントッシュのC28とMC2105の組み合わせは、当時90万円ほどなので、26才の若者には過ぎた買い物であった。
このマッキントッシュのセパレートアンプも、プリとメインの発売時期が揃うまで待ち、発売前に買って配達を待った製品です。
JBLランサー101とJBLスタジオマスターL200を相次いで買い、その間にはアルティックのサンタナまで買っていたのだから、
そんな同時期に、どうやってマッキントッシュのセパレートを買えたのか、今となっては少々不思議だ。
現金一括払い主義だから札束を持って買いに出かけたと思う。行きつけの秋葉原の店員に、良くお金が続きますね!と毎度言われた。

当時の私が、既に常軌を逸していたことは間違いない。私の周囲のオーディオマニア達は、次々にオーディオから撤退していった。
ただ、私は絶対にローンで機械を買わなかったし、全額一括払い主義だから、借金地獄とは無縁だった。金がなけりゃ買うな!である。
当時はこのような海外製の機器が、個人宅に有るということは珍しくて、私は千葉市内でも良く知られた存在であった。
千葉市内電気店のオーディオ売り場の店員の二人が勉強のためと尋ねてきたことがあり、その内の1人がフクロウ喫茶の常連です。
ここまでの写真と記事は、私のオーディオ初心者時代5年間の出来事です。パラゴン導入までは、この後9年間を要した。

↓下の写真は上の写真の二年後。1973年26才頃のもの。稼ぎは全て機器購入費用となった。


「パラゴンを語る」paragon導入時のエピソードと、その後の蜜月

2005年3月18日。完結編を掲載します。初心者時代を書いた後、春ボケしているうちに、10日も経ってしまった。
さて、この完結編は、パラゴンとの関わりを述べるが、オーディオ誌のような事は書きません。このページはオーディオ・ガイドではないからだ。
どんな曲を再生したら、どんな風に聞こえたかとか、まして、装置のどこをいじったり、取り換えたりしたら、どんな音になったかなども、
個人単位で完結するオーディオでは、大切なことではないだろう。100人百通りの音響が存在して然るべきなのだ。
そしてこのページは、いわば、私とパラゴンの恋物語なのです。


初心者の5年間を過ぎた9年間も、飲む打つ買うの類には無縁のまま、オーディオ修行僧のような暮らしを三十才過ぎまで続けていた。
いわば「方丈の間」を理想としていた。シロフクロウにとっての、方丈の間三要素とは、音楽と花と和歌であった。
初心者時代には既に、周囲のオーディオ仲間との交流は無くなった。
私のような究極を目指す修行僧のような人間とは付き合いきれなかったろう。
こう書くと、いかにもオーディオ・オタクのように思われるだろうが、そうではない。
私は元々多趣味でもあったし、情熱を傾ける事柄は他にも沢山有った。実在のブロンド美人との出会いが無い替わりに、
人生の中で常に身辺に花を欠かすことなく愛でておりました。
山に登っても花を愛でるのが好きでした。木工で家具製作するのも楽しかった。
オーディオの趣味は技術だけでは半人前なので、森羅万象に興味を持つべきです。
特に大自然を教師にすることは、オーディオにも有意義です。
ということで、巷のオーディオオタクと同一視されるのは心外だから、当時の証拠写真(笑)を並べ、読者諸氏の誤解を取り除いておく。

↓登山=写真左上穂高の滝谷に立つ。写真=大雪山のクジャクチョウとイブキジャコウソウ。家具製作=二人がけ用椅子。
オーディオ=一戸建て引っ越し直後のパラゴン導入前の様子。
ガーディニング=土のない社宅の四階暮らしでも、ベランダに花は欠かさなかった。この他にも趣味があるが、この程度にとどめる。


このページでは、技術的解説や歴史的な事柄も無用だろう。既にパラゴン情報に書き記した事柄と重複することも、ここでは避けます。
3月8日の初心者編冒頭で、ブロンド美人との遭遇だったと例えたJBLとの最初の出会いはLE8Tであり、
そこで私は、JBL社のあるカリフォルニアの青い空と、そこに吹き渡る風を感じた。と、述べた。その後の5年間でも述べたように、
終始一貫してJBL社以外の製品には魅力を感じなかった。当時は今ほどメーカーの数もスピーカーの種類も少なく、
その中でJBL社の技術力は、他社を圧倒していた。そういうことで、以後、15年ほどの月日は流れた。その後から話を続ける。
と、一行で済ませてしまうと、おいおい!空白の9年間は何をしていた?という質問がきそうだから、
9年間はどうしていたのかを、概略で述べておきます。

最初に実際に手に入れて暮らし始めたランサー101は、スラリとした長い手足を持った女性に似ており、
オリビア・ニュートン・ジョンを思わせる可愛いブロンド美人であった。一緒に暮らして楽しくてならず、
天板のメキシコ産白大理石や、美しい鹿子模様の木製組格子を撫でたりして愛でていた。
ランサー101は初見参のLE8Tとは比べものにならぬほど美人だし、
マッキントッシュ・アンプのガラスパネルのブルーイルミネーションと相まって、
まさしく憧れていた青い眼をしたブロンド美人と一緒に暮らす気分であった。

次に導入したスタジオマスターL−200スピーカーシステムを導入した事は、
女性に例えると解りやすいが、私にグラマラスな音への憧れがあったからだ。
何を隠そう、隠してもバレるが、私はブロンドのグラマー美人への憧れがあり、
その傾向の音響が自分の好きな音であることも、良く自覚していたのだった。
3ウェイ機への欲望は、不思議なことになかった。
私は低域にはこだわりがあるけれど、高音域に関しては、比較的寛容のようです。
それに、今と違って、1980年以前のソースには高音がさほど入っていなかったし、
私自身はJBLの強力なLE85入りのホーン付きのスタジオマスターと、ランサー101のLE175DLHの高音で充分満足していた。
最初の5年間で手に入れた2機種のJBLスピーカーを使って、四発のスピーカーを調整して再生すると、独特の臨場感があり、
これで満足していたから、後の9年間の軍資金?の使い道は、もっぱらアンプやプレーヤー関係に注がれたことになる。

ところが、スピーカー以外の機器というのは、当時のハイエンド・アンプも買ってみたけれど、大きく変貌することは無い。
今から思っても、多大な投資をしていた割には音が画期的に向上していない。アンプやプレーヤーは無駄飯食いである。
オーディオを飛躍的に向上させるには、やはりスピーカー次第なのだと、再発見するに留まった9年間といえる。
だから、この9年間の記事を省略した。そうはいっても、この9年間が無駄ということはないのだけれど、
初期の5年間に比べると、話としては、ツマラナイことが多い。
具体例をあげると、マッキンのMC2105からMC2300に替えたからといって、おお!随分重くなったな!という程度のことであり、
マッキン同士を入れ替えて、大きく音が変わる訳でもないのだ。他社製アンプでは、官能性が希薄で気に入らなかった。
プレーヤー関連などは、さらに変化ファクターが小さい分野だし、無駄飯食いの程度は、プレーヤー関連が大きい。
ここらへんを話せば、針を棒のように言うことになるだけです。


さて、ここらでようやく、パラゴン導入に至る経緯を語ることにする。
とにもかくにも、オーディオというのはスピーカーを替えなくては、大きな変革は起きない事は自明の理だ。
1979年あたりには、晩婚だった私にも伴侶が出来た。いや、出来てしまったのだ。31才で一軒家を購入して、生涯独身で暮らすぞ!、
さぁ〜、これからは思い切りオーディオが出来ると思っていたのに、出来たのは妻であった・・、なんということだ。
世の中、一寸先は闇である。
しかし、この一軒家購入によって、借家とか社宅暮らしでは不可能な、大型スピーカーによるオーディオという選択肢が出来たのだった。
こういう個人的な背景があり、新しくオーディオを再構築する決心をして、理想を追い求めたスピーカー選びが始まったのだった。
結婚後3年経ち、暮らしも落ち着いてきていた。
私の初心者時代の25才あたりと違い、34才ともなれば、それなりに給料も増えていた。
なにより、日本の高度成長期のことゆえ、世の中は大きく様変わりしていたのだ。
小さいながらも一戸建ての家を所有した時期は、
その気になれば、全世界に存在するオーディオ機器を、選り取りみどりで自由に買うことが出来る時代に変わっていた。

大型スピーカーの実際の音を確認するために、映画館で行われた超大型スピーカーだけの試聴会に足を運んだ。
最終候補は、JBLパラゴンと76センチウーファ搭載のエレクトロボイスのパトリシアンの二機種に絞られた。
結果的に高価な二機種が残ったが、値段で決めた訳ではない。自然とそうなった。
当時は値段と音が比例する事例が多く、その意味では解りやすかった。
スピーカー選びで困ったことは、各社のトップエンド機が旧式過ぎたことだった。
モノラル時代のコーナー置き型が、未だに生き残っている時代だったのだ。私はヴィンテージスピーカーが好きなわけではないから、
これにはまいった。兎小屋住宅と西洋人から馬鹿にされる安普請住宅なので、我が新居は壁の強度が不足しているのだ。
だから、西洋の住宅用に作られた、コーナー置き型スピーカーを選択すると、部屋の大改造が不可欠となりそうだった。
この理由で、映画館の試聴で好印象を得たパトリシアンも候補から消えた。
そしてなによりも、私の妻がパラゴンの美しい姿にウットリしていた。これで決まり!であった。

雑誌記事で信頼しているオーディオ評論家の、瀬川氏によるパラゴン評を読んだのも、
JBLパラゴン導入決定にあたって、大きな影響があった。
1980年のステレオサウンド誌56号「ザ・ビッグサウンド」記事を読み返してみると、こう締めくくられている。
「パラゴンは、音を鳴らしてみても、やっぱり、凄い!のだ。
〜中略〜パラゴンの音には、私たちの想像を越えるような幅の広い可能性がある」
そうなのかもしれない・・、いや、間違いない。観察すると、技術志向の評論家達ほど、パラゴンを酷評していることに気付いた。
私は常々、技術志向の人達の方向は、私とはまったく違っていると感じていた。
ははぁ・・なるほど、彼等にはモニター系のスピーカーがお似合いで、楽器型のスピーカーは使いこなせないのだと、思い至ったのだ。
私は瀬川氏の一文によってパラゴン購入を決断したのだった。
世の多くの評論家達が酷評し、あんなものは使い物にならないという批評ばかりを聞いていたし、
私自身も良い音で鳴っているパラゴンには、実際に出会っていなかったけれども、可能性の高さに賭けよう。
よし!この私がJBLパラゴンの可能性を存分に引き出してやろう!。そう決心した。


現在も昔と変わらず、オーディオ評論家のことを良く言わない人がいる。メーカーの回し者だとか、解っていないとか、いろいろと言う。
しかし、私は菅野氏と瀬川氏の二人を信頼しているし、その評論で語っていることと、自分の音創りとはシンクロしている。
オーディオ評論家を単にケナしている人達は猛省するがいい。読者は評論家諸氏の言うところを汲み取れなくてはならない。
多くの芸術と同様に、オーディオは奥が深くて、縁無き衆生達には理解し難いのは確かだ。
彫刻や絵画の世界で確立された評価に、安易な批判をする人は少ない。それは長い歴史によって既存の価値基準があるからだろう。
それ比べると、オーディオは誕生して半世紀ほどで、絶対的権威が確立されていない世界である。
だからといって、好き勝手に安易な批評をするのは良くない。
現代の豊かな日本に生まれた無知蒙昧な衆生が、たまたま、高価な装置を我がものにしたからといって、オーディオの真価を理解しているとは限らない。
モノを買えば理解できる世界ではないのだから。


パラゴン導入を決意して行きつけの秋葉原の店に行き、どれくらいの日数でパラゴン入荷が可能かと尋ねると、
店員は驚いて一瞬息を呑んだあとで、既に倉庫に入荷したパラゴンが一台有ると言った。
中古じゃないだろうね、と聞くと、勿論新品だという。店にも展示したことが無いそうだ。「おお!それを買います」と、言った。
文字通りの箱入り娘が、梱包を解かれる前に、私の元に嫁入りとなった瞬間である。
結婚相手との「運命の出会い」みたいな話を聞くが、私の場合は、申し込み直前にパラゴンが私を待っていてくれたということだ。
いつものごとく、その場で代金全額を支払って、配達日を待った。
今までのオーディオ機器購入では、新発売される前に代金を支払い、延々と待たされたあげくに配達というパターンが多かったから、
カリフォルニァのJBL社からオーディオ店の倉庫を経由し、我が家に直行したパラゴンとは、運命的な出会いだった。

購入時に、店員が私に確認をとったのは、家がマンションではないだろうね?ということだった。
マンションだと、パラゴンが物理的に搬入できないからだった。我が家は一軒家である。
シトシトと雨が降る日だった。トラック二台に分乗して、販売店担当者と輸入元の山水社の社員がやってきてパラゴンを組み立てた。
私が物珍しく眺めている内に、箱入り娘のJBLパラゴンが梱包を解かれて組み立てられていく。
パラゴンの前足二本の木部が、ネジ止めもされずにヒョイと取り付けられて、あっけなく組み立てが終わった。
トラック二台の皆様方は早々に帰り、私とパラゴンだけが残った。彼等はパラゴン磨き用としてワトコ一缶を置いていった。
困ったのは梱包された木枠入りの段ボールで、狭い玄関が塞がってしまうほどの量だった。
木枠は端材利用の為に取っておき、段ボールだけを天井に届くほど積み上げた。
その時、都合のよいことに、私の自宅前道路を、軽トラックに乗った廃紙回収業者がやってきたのだ。

段ボールの後始末をどうするかと思った矢先に、やってきたのだから凄い。
映画のシチュエーションで、おいおい!そういうのって都合が良すぎるじゃないか!と、ツッコミを入れたくなる脚本があるが、
この時は都合良すぎる映画並みに、絶妙のタイミングで廃止回収トラックが登場した。
これまた、パラゴン姫君の超能力によって、軽トラックを呼び寄せ、自分の抜け殻を始末させたのではないか?、と、私はひそかに思っている。
そのトラックの荷台は、さらに都合良く、がら空き状態で、新聞紙の包みが3個ほどしか無かった。
運転席から降りてきたおやじは、私の段ボールの山を見て、嬉しそうな顔を隠せなかった。
話だけは「今は段ボールも安くてねぇ〜、これはあんまり金にならないんだが・・」トボけやがって!、と思ったけれど。
金は一円もいらんからタダで持っていってくれと言ったら。
そのおやじは、私の気が変わらない内にと思ったか、大急ぎで積み込みにかかった。それもエラク嬉しそうにしておった。
JBLパラゴンの梱包材は相当な量で、軽トラックいっぱいの積載量となり、それ以上は積めそうもなくなった。
今日の回収の仕事は、これでお終いだな、と私は言った。
パラゴンの抜け殻を積んだおやじの軽トラックは、右に大きく傾きながら、嬉しそうにヨタヨタと走っていった。
私のほうも、オヤジに負けずに嬉しかったから、笑っておやじのトラックを見送った。


↓パラゴンが来た直後の状況。
不要な機器は外しておき、とりあえず必要な、アンプとプレーヤーだけを部屋の片隅にセットした。
マッキントッシュのC−29とMC2300を繋ぎ、LPプレーヤーを用意した。
このマイクロ8000型はターンテーブルをエアーフロートし、
ベルトドライブ仕様変更であり、ハイスピード・イナーシャを糸ドライブする。
勿論、レコード盤をターンテーブルに吸着するポンプ付き、というフル装備を標榜していたものであったが、
なにせいつも回転が狂うというとんでもない代物で、後日、製鉄所のゴミ捨て場行きとなった。
200万円以上を支払い、2万円ほどのポータブルレコードプレーヤーにも劣る機械だった。
元々テープデッキからスタートしていた私のオーディオは、この経験で、ますますLPレコード嫌いになり、
CDに切り替えるのも早かった。
ところが、現用のCDトランスポートのDENON製DP-QS1も、音飛びがするのだ・・。
4回の修理でも直らない始末で、今は諦めてしまい、早晩、ゴミとなろう。
今日に至ってもなお、より安い海外製マッキントッシュのCDプレーヤーに、国産の機械は負けているのである。
まったくもって日本製のオーディオ機器は、どうかしている。


そして、最初の音出しが始まったのだった。
初めてJBLパラゴンの音を出すと、どこのパラゴンでも聞いたことが無い音がするではないか!。
それは私の経験上からは、想像もつかないほど最上の音で鳴った。明らかに以前のシステムを越える音が、最初から出たのだ。
重箱の隅をつつくような事を言えば言えるだろうが、本質的なところで次元が違いすぎる圧倒的な美音が出た。

あれほど鳴らすのが難しいと言われ続け、どこで聞いても良い音で鳴っていたためしがなかったパラゴンが、
私の場合は、我が家に到着した第一声で、恐ろしいほどの美声を放ったのだ。
私は相当に驚き、我を忘れてうろたえるほどであった。単にオーディオ的に良い音という低次元の話ではなくて、より根元的で、
なんだか、その音は生々しくて妖艶に聞こえた。恐ろしくセクシーな音でもあったから、いたたまれないような気分にもさせられた。
若い頃のハリウッド映画に、ウィンク一つで男を悩殺する、というフレーズがあったが、まさにそういう過激な音との出会いだった。
最初のJBL体験-LE8Tでは「カリフォルニアを吹き渡る風」なんていう軽やかなフレーズを書いたけれど、
この時はそれどころではなかった。
この時のパラゴンの音を風に例えたら、竜巻並みであった。私はいつの間にか、鳴っているパラゴンの前をウロついていた。
そして、これは、ただ者ではないわい・・と、ブツクサ言いながら、あれこれと考えを巡らせていた。
わぁ〜最初から、こんなに凄い音がしてしまって!この後、どうしたらよかろう・・などと、今後の音創りを思ったりもしていた。
しかし、本音を明かせば、あまりに美しいブロンド美人を前にして、我を忘れ、出会った途端に悩殺ウィンクまでくらってしまい、
とても音の姿を正視できない状態であったのだ。パラゴンの最初のウィンクで私はコロッと恋に落ちたのだった。
ドキドキしているのは、そのせいだった。
単に良い音がしただけであれば、うろたえることなどなかったが、パラゴンのセクシーさに悩殺された私は、平静を失ったのだ。
そして、照れ隠しに、ウロウロと歩き回ってしまったのだろう。と、今ならば冷静になって思い返して表現できるが、
この時は竜巻の中で揉まれ、きりきり舞いをしていた。
ブロンド美人にも随分と格差があるものだと思う。最初のJBLとの出会いからすれば、もはや隔世の感がありました。
JBLパラゴンは、それほど凄くて、恐ろしいほどの美女でした。

話を過去に遡ろう。これより15年前の1967年に八戸市内の電気店で出会ったJBL-LE8Tとの出会いでは、
その美しさを50センチの距離でマジマジと見てしまったのだった。この可愛らしさで、国産大型スピーカーより良い音がする!。
そして最初に手に入れたJBL製スピーカーは、ランサーL101であったが、BL-LE8Tとは価格も出てくる音も段違いであった。
L101は、見たこともない製品なのに買ったのだから、見合いもせずに結婚したようなものだ。
セピア色のカタログでしか見たことがないランサーL101は「君はこれほど凄い美人だったのか」と、驚いた。私もまだ若かったのだ。
それでもL101は可愛らしさも兼ね備えていたし、最初の出会いで、思わず抱きしめてしまい、相思相愛の結果となった。
JBLスタジオマスターL-200とは、どこぞの部屋で正式なお見合いをした間柄といえよう。
お見合い結婚で、なにやら面倒くさい手続きをしてから、結婚したという伴侶に思える。
だから、ランサーL101は未だに手放せないけれども、
スタジオマスターL-200は、面倒な手続きを経て、再婚先へ嫁いで行くことになった。
さて、それではJBLパラゴンとの出会いはどうだったかというと、森の中で、突然の嵐の中、姫君に遭遇した。
というシチュエーションが似つかわしい表現だろう。竜巻か青天の霹靂に近い遭遇だったのだから。
いや、その後の姫君との付き合いでは、青天の霹靂に近い出来事は、何度も味わうことになるのだが。
それらの全ての出来事は、私からではなく、最初からパラゴン姫が、あらかじめ仕組んだ策略にも思えるのだ。

このページは、パラゴンを語る・・という題が付いているので、ここらへんの事を丁寧に書かなくてはなるまい。
もう一度、振り返って、出会いの史実を確認しよう。
初めて我が家にJBLパラゴンが設置されて、最初の音が出た時からして、普通ではなかった。
今まで経験した、どのスピーカーからも経験した事が無い音が出てきたからだ。
最初に出たパラゴンの音は、悩殺ウィンクであったと言ったが、
そんな音に未経験の私は、どう反応して良いのか解らずに、まごついてしまった。
高貴なお姫様が、それも信じがたいほどの金髪グラマー美人が、何を思ったのか、気まぐれなのか、
斜に構えたと思ったら、私に青い眼の悩殺ウィンクをしたのだ。いや、パラゴンは正面を向いていたのに、
私の方がなにやら正視できかねて、斜めから、そっとお姫様のご機嫌をうかがったということなのかもしれない。
私はお姫様の前を、あの・・その・・とかなんとか言いながらうろついた。青い眼のウィンクをまともに見ることが出来なかった。
「そんなことをなさっても困ります」などとうろたえて、姫君の前をウロウロと歩き、その場を取り繕っていたというところである。

とにかく、憧れていた以上に美し過ぎる姫君には、充分にドキドキした。
悩殺ウィンクに気が動転してしまい、恋に落ちたのも当然の成り行きだった。
他の所でのパラゴンを見聞していた時と違い、自宅で相対したときに初めて本物のパラゴンを見た思いがした。
この時は気付かなかったけれども、後で冷静に考えると、私とパラゴンの運命の出会いが、このウィンクから始まったのだと思う。
そして、これまた、後に気付くことだが、パラゴンというスピーカーは、人を選ぶスピーカーだと思う。
つまり、この時、私は選ばれたのだ。後から思うと、そう思えるのだ。
パラゴンを批評して「これは姿は美しいが、音響的には失敗作」という人達の場合は、
最初の出会いで、パラゴンに選ばれることはないだろう。
ドキドキやワクワクも無かろう。
また、せっかく手に入れても、上手く鳴らせない多くのパラゴンオーナーも、パラゴンに嫌われた人達だと思う。
お姫様が相手に求める条件は、家柄も社会的地位も無関係だろう。なにせ姫自身が最高位だから、世の男どもは全員それ以下なんだろうし。
資産や才能の有無も無関係だ。そして不思議なことに、部屋の大きさも無関係だと断言しておく。
ある評論家が、パラゴンは広くて立派な部屋が相応しいと言ったけれど、それはパラゴンと結婚しない人の言うことだ。
そこそこの貴族階級か、お金持ちのお嬢さんなら、結婚相手に資産の有無やら、立派な邸宅を望むかもしれないが、
そんなものに無頓着なほどまでに高貴なお姫様ともなれば、粗末な兎小屋住まいを面白がるのだ。
自画自賛させていただくが、世界中に今や1000台未満となったであろうパラゴン姫の中で、最も幸せに暮らしているのが私のパラゴンだ。

だから、私がパラゴンを選んだというより、私はパラゴンに選ばれ、愛されたのだと思っている。
好き嫌いの決定権は、しもべたるオーナーには無く、お姫様の方に選択の権限があることは言うまでもない。
最初にパラゴンと組み合わせたパワーアンプはMC2300という巨大なマッキンのトランジスタ・パワーアンプで、
グラマラスな音がするパワーアンプであった。だから、余計に悩殺度が高かったのだと思うけれど、
私は最初から彼女のセクシーさにノックアウトされてしまった。
その後の四半世紀を、パラゴン姫のしもべとして仕える事になったのは、むべなるかな・・であった。
パラゴンとの新婚当時も現在も、こうして我がボロ屋に鎮座ましましているパラゴン姫は、当初に比べて遥かに音も良くなったし、
まだ先がありそうだ。
パラゴン姫が来る前の、私の部屋の装置を上部に掲載しているが、機器を物置状態に積み上げた状態だ。
若気の至りで初心者だったとはいえ、チョット恥ずかしい。

↓2005年3月現在のパラゴンの様子。1982年購入なので、ほぼ四半世紀の間、愛情を注ぎ、共に暮らしてきた。

こうして、JBLパラゴンとの長い蜜月が始まった。
出会いの後、三ヶ月ほどの新婚生活の苦労は、パラゴン情報に書いたとおりなので、重複するから、ここでは書かない。
まぁ、人間の新婚生活も似たようなもので、生まれも育ちも違う二人が、共同生活を始めるのだから、少々の問題が起きるのは当然だ。
それに、パラゴン姫はこの世の中の、どんなスピーカーとも違う孤高のスピーカーでもあった。
だから、むしろ、問題は最小限で済んだと言える。
最初から万全に上手く鳴らないのは、極上のオーディオスピーカーならば、良くあることであるし、
悪しき原因はパラゴンではなくて、私の方に有ったことは勿論だ。
なにせ、姫君のウィンクひとつでコロッと恋に落ちた男としては、
少々すねられても、お姫様に合わせてやり、笑顔を取り戻していただくしか術はなかった。彼女のしもべなのだから。
この記事の初頭に「私は海外製品に魅せられた。ブロンド美人に憧れる気持と同じである」と書いたけれども、
出会ったブロンド美人の中でも、JBLパラゴンは、他とは比較にならぬほど、凄味さえ帯びた美女であった。
気難しい事もまた、最上級であったけれども、それはやむを得ない。
そうではあっても、お姫様育ちのパラゴンには、なんら悪意は無く、性格的にも何一つ悪いことも無く、
悪しき出来事の原因は、みんな相方の私が悪かったのだ。
特有の低音ホーン泣きにしたところで、お姫様は生まれついてのグラマーなのだから、
そのセクシーなお尻が問題と言われても、お姫様としては困るだけです。
ツィーターのコントロールが難しいというのも、生まれつき凄味のあるセクシーなオメメをしてらっしゃるのだから、
今さら目つきが鋭いと言われても、お姫様が困るだけです。
JBLパラゴンと暮らして23年ほどになります。23年前と比べて、外見的には、アチコチに小さな傷が付きました。
なにせ、フクロウの巣穴は狭いので、地震がくれば物が落ちるのです。

現在の音はどう変わったかというと、23年前と比べて迫力倍増に変貌しました。姿が大きくなった、という表現が相応しいでしょう。
音場感が大きくなったのです。
セクシーな美しさも益々凄味を増していく一方で、しもべの私が、年々年老いてヨボヨボになっていくのに、
姫君は年々美しさを増し、年々声が良くなっていくのです。
なぜそうなるのかは解りませんが、JBLパラゴンは、箱鳴りを利用している楽器型スピーカーだからなのかもしれません。
あるいは、僅か1ワットで大音量になる高能率型スピーカーだからか。木製であるが故に乾燥も関係し、
長い年月を鳴らしていることで音質向上が実現するのだろうか。近年の低能率型スピーカーでも同様の現象は起きるのだろうか?
木製のスピーカーではない近代スピーカーであれば、ひたすら劣化するだけと思えるのだが。
ヴァイオリンの名器も博物館に飾ったままでは、音が悪くなってしまうので、時々プロの演奏家に弾いてもらうようにしているそうだ。
パラゴンも同様かと思う。
では、どれくらい鳴らし込めば良い音になるのかということですが、
これは、皆さんの想像を越えて、長い年月を長時間鳴らさないといけないと、私の経験上から思います。
というのは、私が早期リタイヤしてから、朝から夜まで毎日10時間以上鳴らすようになって、十年ほど経った頃に、
急速に心地良く響くようになったからです。
勤めをしていた時期は、毎日聞いていても一日4〜5時間ほどが限度でした。
この年代では、何年経っても、急速に音が良くなったとは感じなかったのです。
リタイヤ後は12時間は鳴っている。
そして、近年は、一時間程度の留守中なら、鳴らし続けていますから一日に15時間は鳴らし続けています。
ですから、一般の会社勤めの方々のように、帰宅後にパラゴンを鳴らして居る程度では、
一生涯かかっても極上の音にはならないのかもしれない。
鳴らすトータル時間で決まるのであれば、子供の時代が無理なら、孫の時代になってようやく、良い音になるのかもしれません。
でも、一日24時間の中での、絶対時間数が不足という事であれば、
普通の使用状態では、永遠に良い音にならないという事も考えられます。

対策として、どこぞのオーディオ・マニアがやるように、留守中にエージングを早める目的でノイズ成分を出しっ放しにするような、
姑息な手段は、パラゴンには無意味だと思います。
博物館所蔵のヴァイオリンとて、機械で弓を動かすのではなく、
プロの演奏家が高音から低音まで、まんべんなく音を響かせることによって、音色維持を図るのと同様に、
オーナー自らがパラゴンと対峙して音を楽しみ、相思相愛という状況が最良と思います。
私はスピーカーは部屋と共に、呼吸するものだと考えています。

そんなことを言っても、仕事をしないでパラゴンを聞いていられないって?
でもね、相手のパラゴンは貴族のお姫様ですから、労働はしません。
お姫様とお付き合いするのに必要なのは時間です。ある経営者はこう言いました。
曰く、 人生の自由時間が欲しいなら管理者になるな、と言ったのです。
なるほどね、それなら、シロフクロウのような高等遊民でないと、パラゴン姫には付き合いきれないということでしょう。
お金があれば、パラゴン姫の身体は得られても、愛を勝ち取れるわけもなし。
第一、姫君にとっては、オーナーの地位やら金持ちであることなど、なんの魅力にもならないのでしょうね。
自分のお気に入りのオーナーが、自分と長時間一緒に遊んでくれるかどうかが、関心事なのでしょう。
そういうことを考えると、ふと、思うのですが、
私を早期にリタイヤさせたのは、JBLパラゴンの魔力によるところがあったのではないかと、半分は本気で思っているのです。
ならば、廃紙回収のトラックを呼び寄せる程度の魔力は朝飯前だったのか?。
私をしもべとして、日夜共に遊びたいがために、私の人生を変えたのではないか、そう思える時があります。
23年間をJBLパラゴンと暮らして、様々な不可思議な体験をしたので、単なるオーディオ・スピーカーとは思えなくなっている。


↓2005年現在のパラゴンを駆動する装置群。
6.1チャンネル再生は、ピュアオーディオ再生もシアター上映時も、15種類ほどの自作パラメーターを使う。
私のサラウンド・システムは、いわばパラゴン姫の衣装に相当し、再生する音楽のTPOに応じて着替えをする。
ご覧のように、ケーブル類を神経質に扱わず、適当に這わせているように見える。
若い頃には、ケーブルを交差させないようにとか、浮かしたりとか、様々なことをやってきた。
結果として改良が見られない時は、普通なら精神衛生上とか言って、対策を施したままにするが、
私は般若心経派の自然流オーディオなので、対策を外してしまう。
この配線状況が鳥の巣みたいなので、部屋を「フクロウの巣穴」と呼ばれている次第。


オーディオも、人それぞれの好みが、随分違うという話もしておきます。
評論家の傅氏は「美味しい水が飲みたかった」という嗜好がある方で、プレーナー式のスピーカーシステムを愛用し、
マークレビンソンを愛用していた時期があった。
つまり、私のような嗜好と正反対のオーディオを愛好している方です。
よって、傅氏のオーディオ評は的確ではあるが、私には、さほど参考にならない。
傅氏の聞く音楽ジャンルは、私同様に女性ボーカルが多く、これでオーディオの好みさえ私と似ていれば、
こんなに参考になる評論家はいないのに、まことに残念だ。
私にとって、プレーナー型の音は、血も肉も持たぬ骸骨が、ケタケタと笑いながら歌っているように思える不気味なスピーカーで、
ウソ寒くて御免被りたいスピーカーなのだ。
傅氏の現用スピーカーシステムは、カタツムリと呼ぶノーチラスになったから、
この頃は、美味しい水から、少しは味がするソーダ水になっているのかもしれない。

私の場合は、世界遺産にも登録された白神山地に隣接する海岸線で生まれ、美味しい水という概念さえ無いところに生まれた。
都会に生まれて塩素殺菌の水道水を飲んで暮らせば、美味い水という概念もあるだろうが、
シロフクロウは、都会人がありがたがる美味い水も美味い空気も、当たり前に存在するところに生まれた。
大自然のまっただ中で生まれ育っているから、美味い水ごときものには憧れを抱かない。

私のパラゴンを駆動するマッキントッシュのアンプは、老舗メーカーらしく信頼度抜群を誇る。
昨今のアンプはやくたいもない倅に似て、働きが悪いわりには文句が多く、やれ電源だ、ケーブルだ、などと
労働条件への注文だけは一人前のアンプが多いように思う。そして、この頃のアンプは異様に高額過ぎる。
これに対してマッキンアンプは、昔と違い、今は安価なアンプと言えるし、
高額アンプがひしめく現代では、相対的にコストパフォーマンスが高くなった。
労働条件に文句も言わず良く働くし、その味は、美味しい水の対極にある酒に例えられよう。

シロフクロウがオーディオに求めるものとしては「美味い飲み物」でなくてはならない。
この点で、マッキントッシュのアンプは極上のブランデーであった。
そして、カオス状態を良しとする私の般若心経型のオーディオでは、パラゴンをその方向で駆動する際に、最も相応しいアンプであった。
JBLパラゴンは高貴なお姫様だと例えたが、お姫様の好みは私と似ており、水よりは美味しい飲み物を好まれるようだ。
よって美味しい水に例えられるアンプは、パラゴンに似合わないと思う。
現代の新進気鋭のアンプ設計者は、もっと詩を愛し、自然を教師としていただけないものか。
無駄を廃して省略だとか、便利よりは純度だなどという思想は、人間性を映した哲学を無視しているように思う。
般若心経では、この世の真理は、増えることもなければ減ることもなく、穢れることもなければ清められることも無いと説く。
優れたオーディオ製品は技術的に優れているだけではなく、高邁な哲学を具現化して欲しいと願う。


現在の心境を書き記しておきます。 私は昔も今も宗教とは無縁だが、あるとき、般若心経を読む機会があり、
その示唆していることが、自分のオーディオ構築にかなっている事を発見した。
最初に般若心経がありきではなく、長くオーディオを続けてきたあるとき、現実に照らし合わせると、思い当たることがあったということです。
オーディオは修行みたいなもので、一途に励むことは修験者の行に似ている。
私の場合は、先に宗教を学んで達成したものではなく、長いオーディオ修行の中で、自然発生的に「悟り」に近いものを会得した。
それが私にとってのオーディオの有り様だったし、今後もこの姿勢は変わらない。
ここらへんの事柄は、言葉を使って説明するには理解しがたい領域なので、一言、書き添えるだけにします。



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